何気ないところに小さな幸せが・・・。そんな日常を「徒然なるままに」語ってます。   
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久々に文章書いています
5月からもう4か月たってるんだ!
この間にいろんなことがあったんだなぁと
すごく濃い日常を過ごしていたことを思い出します。

ようやく秋を前に、自分のことを相対的に見れるようになったかも。
正直時間がかりました。
6月10日の父の死、死後のバタバタ、裏切り、沢山?の失恋(←これはおまけみたいなもんか。。)
とまぁ、我ながらこの数か月間はよく頑張ったと思っています。
なかなか会えないお友達や、この日記を通して私の近況を確認してくださっていた方々に
大変ご無沙汰してしましました。
この場をかりて、、、本当にすみません。
疎遠になっている方々にも、すみません、ホント気持ちに余裕がなかったもので。
何はともあれ、すいは元気に頑張っています。
これからはもう少し近況をアップできるかと思います。

前回の日記は、GWの中国旅行の報告でした。
あそこで書いている通り、しっかりと父の看病のための覚悟を決め
おもいっきりはじけてきました。
その後、5月は毎週末父の病院に通っていました。
緩和病棟にいながらも、ただ死を待つだけは本人はイヤがっていましたので
いろいろな方法を模索していました。
その中でも一番大きかったのが免疫治療。
順調に行けば、2月頃には受けていたのだけど、いろいろあって
腸閉塞を起こしちゃって、入院。
「退院したら、、、」という本人の希望とは裏腹に病状は悪化。
結局はいったん退院したものの、また戻ってしまい
5月以降は日に日に弱る一方でした。

私は入院後、毎日父の側にいたわけではないし
週末と平日仕事後の短い時間しか父のところには行っていないけれど
今思えば亡くなるまでの1か月間は、今までの33年間の中で一番
父と過ごす時間が長い日々だったかもしれません。
こんなこともなければ、経験することもなかっただろうけれど
父の入院前に母がこっちにきて
我が家にて私の作ったお好み焼きを囲んで家族だんらんを初めて経験しました。
私はそれが本当にうれしくて、うれしくて、、、
だからそれだけで十分だと思いました。

父の最期、6月10日は「今週がヤマだ」と言われている中で迎えた金曜日。
午前中仕事をおわらせ、私は午後から病院に。
病院の1階ではピアノとバイオリンの生演奏をしていて
「アメージンググレース」が演奏されていました。
私はそれを聞きながら、涙が止まらなくてなんとなく父とのお別れが今日になる気がしました。
でもそこで沢山泣いたので
父の最期はしっかりと「ありがとう」「よく頑張った」と伝えられました。
以前、母から「なくなる間際まで声は聞こえているもんだから、しっかり話しかけてあげなさい」
と言われていた。おそらく継父が亡くなった時の経験だろう。
私は1時間ずーーーーっと叫びっぱなし。
沢山伝わったと思う。安心してくれたと思う。
毎日献身的に看病していた継母に比べて、私は小さなものだけれど
継父の時の後悔があったので、前からこの日記にも書いている通り
悔いがないようにしたかった。
私は等身大のまま、ちゃんと送り出せたと思います。

そして父の死後はいろんなことがあった。
でもそれをここに整理して書けるほどまだ心は穏やかではない。
私は性善説の元生きていて、人のイヤな部分を探しながら生きていくよりも
その人のいいところを見ながら人づきあいをしている方。
でも私と性格が間反対で、私が父の件で最も信頼していた人と
喧嘩別れしてしまいました。
これを国民性の違いという言葉だけで片づけたくない。
一番ショックだったのが、中国には2年近く滞在し
現地にも沢山のお友達がいる。そんな中いい部分いやな部分いろいろとみてきたけれど
私は一般的な日本人よりも中国人の方のことがよく分かっていると自負していた。
それなのによく分からなくなった。
中国のお友達に話すと、「それは国民性ではなくて彼女個人の問題だよ」と言ってくれたけど
何はともあれ信頼していた人がこんな形で裏切るとは思っていなかった。
裏があるかもしれない。
外野はいろいろ騒いでいたが、私はどうでもいい。
むしろ関わりたくない。彼女には会いたくない。
継母のとった態度の件で、父が少し遠い存在の人になってしまった。
父があの子を選んだことに今は疑問。
彼女自身の人格を皆に誤解をされたまま、その誤解を解くべきがどんどん雪だるま式に不信が広がっていった。
、、、下手だなぁと思った。
結局は彼女は父以外の誰も愛していないことがよく分かったし
覚悟していた父の死よりも、それがいちばん胸を痛めつけたし
腹が立ったし、世の中のいろんなことが一時どうでもよくなったりもした。

親戚からは父の病状が分かった時点で(手術が終わった後にすぐ)話して欲しかったと
言われましたが、なんだかんだ言ってそれは不可能でした。
私自身、誰を信じていいか分からず
まずは父を信じるしかありませんでした。
父の兄弟達親戚とは全く私は交流ないし。
結果的に私が一番信頼していた継母と父の親友(と父が言っていた方)に裏切られるという
最悪な結果が待っていましたが、、、まぁそれと引き換えに
親戚たちと仲良くさせてもらったので
やっぱりこういう時は血縁なんだなぁと勉強になりました。
(もちろん血縁がトラブルのもとになることもあると思うが)

、、、、人はいつか亡くなる。
別れと永遠の別れは違うのだなぁ、、でもなんでだか四十九日を過ぎても
父がそばにいる気がしてならない。
普段からそんなに会っていないからなのかもしれない。
だから結局ここ4か月実感がないまま、過ごしてきた。
お墓で手を合わせていてもそれは同じだった。
ともかく今を一生懸命に生きるのみ、、、今はそう思いながら頑張っています。

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