何気ないところに小さな幸せが・・・。そんな日常を「徒然なるままに」語ってます。   
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ダライ・ラマ自伝
ダライ・ラマの自伝を読んだ。

中国にも行っていたのに、チベットと中国との歴史に関しては
恥ずかしながら、あまり知識がなかった。
チベットのことを知らないまま、中国に留学し
鉄道が開通して、「チベットは手軽になってきた旅行地だなぁ」なんて
お気楽な印象を持っていた。
いつかポタラ宮にも行ってみたいとも。
そんな軽ーい気持ちでしか。
もちろん「自治区」というビミョーな名に「?」な気持ちもあったのだが
あくまで中国側の発する情報を得ていた程度。

それが、オリンピックを前にした頃に、盛り上がっていた人権問題を目にし
初めて疑問に思うようになっていた。
当初、実は、抑圧は一時的なことなんじゃない?なんて勝手に考えていた。
一体、ダライ・ラマって何者?
ノーベル平和賞?でもいろいろ解決してないじゃん。と
どうも宗教に対する偏見もあったのかもしれないけれど、
なかなか知ろうと出来なかった、未知のままですごしてしまってきた問題であった。

縁あって、本を手にすることができ
なんだか吸いつけられるように読んでみた。
一中国語をビジネスとする者、草の根交流を目指す者として
やはり知っておくべき人物なのではないかと。。。
自伝なんて、えらそーなことを書いている、えらそーな人の本というイメージが強かった。
それに翻訳者の人がブーだと、なんだかまわりくどくて、
うまくかみしめない文章が多い。
しかし、この本は違った。

ダライ・ラマはご存知の通り、チベット仏教の象徴的立場で
前世ダライ・ラマの生まれ変わりとお告げをうけ、今の道に入ったわけだけれど
そういうことは、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を見てもちろん知っていた。
あの映画はじっくり見たはずなのに、なぜかチベット仏教の印象しか残っていない。
ダライ・ラマ自身は、自身の生い立ちから坦々と今を語っているわけだが
その大半が、中国軍が進入してきたからの歴史だ。
それもそのはず、彼がまだ10代の頃に中国は「遅れた地域の開放」の名の下
進軍してきたわけだから。
しかし古の頃から現代まで、チベットが中国の傘下に入っていた歴史はないし
どう見ても、進軍とは「侵攻」のことだろう。
彼自身も書いていたが、もちろん中国軍が「開放」したことで、発展した部分もあったかもしれない。
しかし、その為に多くのチベット人の人権が踏みにじられてきたし
自由が奪われてきた。

ダライ・ラマは当然カリスマ性があるが
彼は独立を主張し、断固団結し戦おう!とチベット国民に呼びかけたわけではない。
話し合いによる解決と、チベット人の平和な生活を望んだ。
彼がすごいなぁと私が思ったところは、彼がうさんくさくないところだ。
(ちょっと失礼な言葉かもしれないけれど、すみません)
決して中国批判をし続けてきたわけではない。
優秀な一部の中国政府幹部に関しては、尊敬の念をやまず(周恩来など)
チベットの問題となると、どうしても分かり合えないのだが
しかし、どーしようもない腐敗した幹部に関しては厳しく批判した。
「汝の敵を愛せよ」と語り、罪を全てゆるしあうキリスト教の理念よりも
人間臭い気もしたし、それは人間の本能だと思った。
彼は自身の地位の保障など一切中国に求めていない。
チベットの人々から愛されている訳がよく分かった。

「亡命」という選択にかんしても
当初は疑問だった。
なぜに「闘わなかったのか」そう思っていた。
「亡命」とは、「逃げること」と私はとらえていた。
しかし、答えは私の解釈違いだった。
難を逃れたことは事実にしても、
中国の監視下にあるチベット国内においては、自由な発言はできない。
世界の人々にチベットの現状をメッセージとして送るには
国外からしか発することができない事情があるのだ。

いろんな謎が解けていった。
中国に対して、不信感がつのったことは事実だ。
しかし、お互いの立場の違いから主張したところで
物事は解決しないわけだ。
とは言え、共存していく為には
人としての最低限のルールと、相手を尊重することを意識しないと
それは人以下になってしまう。
オリの中で叫ぶだけでは、一時的な打撃を与えるだけで
何十万という軍隊に押しつぶされてしまうだけ。
それにより、世論にて批判は高まるだろうが
何万もの人々の命が奪われる悲しい結果になるだろう。
ここで話す必要もないかもしれないけれど、不信感がつのったのは
政府の腐敗した役人に対してと
人権を重んじない一部の人々に対してであって
中国に暮らす人々そして海外にいる中国人に方に対しての
私の友好的な感情が変わったわけではない。

思いやりの心が欠落している現代。
人と人の関係だけはない。
国と国同士も(もしくは民族と国同士も)分かり合っていくためには
もっと一つ一つの問題を目にし、事実を考察し
共存の道を「思いやり」を持って考えていくべきではないか。
ダライ・ラマ14世の今後のご活躍と、長寿を心よりお祈りしています。
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